大学・大学院時代(2) 人間関係
ラボ時代のお話。
どう書いたら良いか迷うくらい沢山の出来事があった。
とにかく人間関係がキツかった。
①教授
②先輩
③同期Aさん
最終的に中退したのは、厳しい「もうひとりの自分」にやられてしまったから。
ここでは、上記の①〜③について書こうと思う。
①教授との関係について
まず、基本的に教授は悪い人ではない。ただ、思ったことは気にせず言うし、学生への好き嫌いは隠していなかった。
ちなみに、この流れから分かるように私は嫌われていた。そして同期Aさんは好かれていた。
他の研究者の論文紹介をするセミナーがあったのだが、私のラボはとても厳しくて、自分の実験を止めてその準備に1ヶ月かけるのが通例だった。
英語の論文だし、リファレンス(参考文献)は全部読まなくてはいけなかったし、リファレンスのリファレンスまで読んで把握しなくてはいけなかった。
みんな発表のために、30本は論文読んでいたと思う。
ラボに泊まりながら、夜中でも関係なく論文を読みスライドを作る日々を1ヶ月した。
私の発表の日、再発表の問題児も発表することになっていた。私が先だったけれど、スライド3枚目のmethodで「はい、やり直し」と言われた。
発表時間15分もなかった。
先輩達には、私の学年の標的は〇〇さん(私)みたいだね と言われた。
上手くは書けないのがもどかしいけれど、聞いている人がみんな"そこを聞いても意味は無い"、"それを聞かれても答えようがない"と後でフォローしてくれるような質問に見舞われた。
それをラボでは公開処刑と言われていた。
もちろん、ドクターやマスターの先輩達も嫌われている人は、その不毛な質問攻めに合い、長い時は3時間みんなの前でいじめられるのだ。
1人の先輩は、過労と寝不足で発表中に気絶した。
ちなみにAさんは別日に発表だったが、特に質問もされず一発クリアだった。
卒論の準備もギリギリまで実験をしていたので、泊まり込みだった。
発表の練習の時、「このスライドをこういう風に直しなさい」と具体的に言われて直した。
何度も見てもらって何も言われなかったのに、卒論発表の前日20時頃に「全部のスライドを作り直しなさい」と言われた。
『・・・・。』泣きたかった。
発表日の朝5時に完成した。
もう教授には見せなかった。
卒論発表自体は滞りなく終わり、1番怖かったドクターには「よくスライド作り直せたね。俺は無理」と言われた。
私にとってその言葉は労いの言葉に聞こえて嬉しかった。
教授には、色々と言われたし、態度でも分かっていたけれど1番堪えたのは「大学院にいく価値ない」と言われたこと。
今でも忘れられない言葉。
大学院を辞めると言った時、「あの言葉はそういう意味じゃなかった」と言われたけれど、"そういう意味"って何?って感じだった。
別に、アカハラとして訴えるつもりもなかったし、好き嫌いで振り回されることなんてこれから先あるだろうから、どうでも良かった。
最後は笑顔で、お世話になりました が言えたから良かったと思う。
②先輩との関係
とりあえず、先輩達は4年生だと言うだけで嫌いだったみたい。毎年入ってくる4年生は、まず嫌われるところから始まるようだ。
理由は「研究の邪魔にしかならない存在だから」らしい。※先輩が本当に言っていた。
・挨拶は返してくれない。
・何か問題が起きると、4年生が悪い
・自分に身に覚えがなくても、謝れ
・机をバーンと叩かれる
・1度教えて貰ったことは、もう教えて貰えない
・話しかけてはいけないけれど、質問しなくても怒られる
箇条書きにしたのだけ読むと、根性のない新入生の戯言みたい。
とにかく、先輩たちは存在すら怖かった。
ただ、私は先輩たちには途中から好かれるようになっていた。きっと理由は教授に嫌われていたから(苦笑)
あとは、体育会系で縦社会になれていたから粗相が少なかったのが理由かな。
ちなみにAさんは、教授には好かれているのを自覚していたから、先輩方にも失礼なことをバンバン言って嫌われていた。
私が大学院を休学してから先輩たちとは仲良くなって、ご飯に行ったり、みんなで鍋パしたりする関係になった。
※研究での利害関係が起きないとこんなに仲良くなるんだな〜。ただし、かなり神経は使う。
③同期Aさん
彼女は自分が頭の良いこと、私は頭が良くないことを認識していたと思う。
※Aさんは学部入学時は1位合格。
教授に好かれていること、私が嫌われていることも、もちろん分かっていた。
ラボに入って、しばらくは一緒に頑張っていたけれど途中から私を下に見るようになった。
実験中、意見を言っても無視される。
結局私の意見が合っていても、認めない。
先輩に怒られたり注意されたら、すぐに泣いて話せなくなるので、私が謝ったり経緯を説明したりする。
Aさんは自分が絶対的に正しいと思っているタイプだったから、先輩たちのこともバカにしていたし、尊敬していなかった。
平気で先輩との約束(実験を教えてもらう等)を破る。無関係な私が謝るという謎。
先輩たちはAさんと話すことを嫌がり、私にAさんへの注意を言うようになった。それを伝えても聞き入れない。
先輩とAさん間の板挟みはキツかった。
私が大学院を辞めようかと本当に悩んでいた時、Aさんに初めて相談してみた。
『これからの人生どうなっても良いから、辞めたいとも思うけれど、学歴を捨てるのは勿体ないかもしれない。良い企業に入れないかもしれない』と泣きながら言うと
「〇〇(私)にも、そういうプライドあるんだね」
とだけ言われて終わった。
藁にもすがる思いで相談した自分がバカだった。
今では連絡先は消して交流はない。
彼女は今頃ドクターになっているだろう。
アカデミアに残らない人は負け組
と言っていた彼女だけれど、企業の研究職を探しているようだ。
だいぶ長くなってしまったので、厳しい「もうひとりの自分」については、また今度。
不必要な完璧主義について考えてみようと思う。