常に頑張っていないといけない
これが私の考え方。
そもそも、こんな考え方をしているってこと自体自覚したのは最近。
自分にとって普通のことだし、当たり前で気が付かなかった。
会社を休む前、どんなに身体がつらくても、仕事中に勝手に涙が溢れてきても、"休むこと"を頑なに選択しなかった。
今元気になってきて、冷静に考えるとあの状態で出勤してたことは自己満足だったと思う。(周りの方に心配かけるし、自分の体調を整えた方が良かったし、ミスが増えていたから)
今更過去には戻れないので、そんなに悔やんでないけど、人間追い詰められると自分のモノサシがどんどん尖って、より一層極端な考え方になる。
"自分は常に頑張ってないといけない"
って言葉は一見意識高い感じに捉えられそうだけど、そうではない。
私の真意は
・頑張っていないと、認めて貰えない。
・人より頑張らないと、普通のレベルになれない気がする
・自分みたいなヤツが努力しないことが許せない
など、自分への自信の無さ。
自分みたいな人間は頑張っていないと存在する意味ないんじゃないかな?
と思う。
周りの友人や家族、同僚からは
『頑張りすぎだから、心配』
『〇〇(私)の普通が、他の人の頑張ってるレベルだよ』
って言って貰うことがある。
でも、自分自身が1番自分を認めていなくて、"こんなんじゃダメ!もっと頑張れるでしょ!"といつも問いかけてくる。
周りの方に認めて貰っていても、結局は自分が自分を認めてあげないと、心はラクにならないんだなと思う。
逆に、周りには"自分に甘いヤツ"と思われていたって、自分自身では"今日も私は頑張った!"と思えていたら、心が穏やかで満たされる気がする。(この場合は、自覚なく周りから冷たくされたりする可能性はあるけど…)
そもそも、"頑張った"の基準ってとても難しい。
何をもって頑張ったと言えるのだろう?
私は、自分のことを『頑張ったね』と褒めてあげることが苦手。
・もっと頑張れたんじゃないか?
・こうすれば良かったんじゃないか?
・よりスムーズに出来たんじゃないか?
など、欠点を探してしまう。
残業が多く、とても働いた月があったとしたら、"これだけ自分は頑張ったんだな〜お疲れ様"と思ってあげたい。
だけど、過去は"これは最低限のことをやっただけだから。これが普通なんだ"と思っていた。
だから、頑張りすぎって周りから言われても、言ってる意味が分からなかった。
ドクターストップになってから、"もしかして自分は頑張ってたのかもしれない"と思えた。
そんな破滅的な頑張り方をこれからの人生したくない。
だけど、この見に染み付いた考え方って全然変わらなくて苦しい。
怠けてる自分を認めてあげたい。
そんな自分もいたって良いと思いたい。
頑張らないとって気持ちが常にあると、なんだかピリピリして、焦燥感もある。
頑張れないくらいなら、やらない方が良いって考えは、0か100の考え方。
60~70で長ーく続けていくのが目標。
頑張らないといけないって思考を変えたくて、頑張らないことを目標にもした。
だけど、これこそ0か100の考え方だったかもと思う。
どんな小さなことだって、頑張りを認めて、自分のことを褒めてあげることがやっぱり大事なんじゃないかな。
自己肯定感が上がったら、きっと"頑張らないといけない"という強迫観念はいくらかマシになる。
ということで、気が向いた時にブログにその日頑張ったことを書いてみる。小さなことでも。
ちなみに今日は
疲れてたのに、お風呂に入ったこと。
明日から、またリワーク。
のんびりやってこう。