時は止まったまま
2年前の年度末で時が止まってる。
それから1度復帰して働いていたけど、大して記憶はない。
あれから私の課の社員は倍近く増えたし、お世話になった人々も多くが転勤でいなくなった。
定期的に人事情報を教えてくれる方がいる。
人が増えて良かったなとか、新しい人はそんな人なんだとか、思える日もあるけれど、そんな情報知ったって自分には関係ない、と思ってしまう時もある。
新しい人が増えたと聞く度に、自分はどう思われるんだろう、と不安になる。
もう、自分が元気に働いていた姿を実際に見ている人は1/3くらいなんじゃないかな。
ゆとり世代の新人が、ワガママ言ってズル休みしてると思われるんじゃないか。
最近の若者はやっぱりダメと思われるんじゃないか。
怖い…。
でも、実際は私の存在なんか大して気にもせず皆さん働いているのが現状だろう。
気にかけてくれている人は、人が増えたのは私の休職もきっかけの一つだと言っていた。※その年は私以外にも2人飛んだ。
長年、人を増やさなかったのに上が変わって、人が足りないことを本部に訴えて、今は積極的に人を増やしてくれている。
ただ、そこにいない自分は仕事量や負担がマシになっていることは実感出来ない。
職場環境が良くなっていることは分からない。
時が止まっている私が復帰した時に想像する仕事量は、倒れた時の量。
トラウマになっているのか、自分が働いている姿は想像出来ないし、もうあんな働き方したくない。
学生と違って、頑張って良い点を取ったら評価される、という分かりやすい評価はない。
会社の為に役に立ちたいと思って頑張って働いても、都合の良いように仕事を押し付けられるだけで評価はされない。
仕事はないくせに生活残業している人は怒られず、本当に時間が足りなくて残業せざるを得ない人は怒られる。
頑張っても報われないならまだしも、頑張った方が怒られるというこの部署は謎だった。(管理職によると思う)
頑張らないようにしようと思っても、中途半端な自分が嫌で、自分が納得する為にやるしかなかった。
今後復帰出来たとして、頑張らないで働くことが出来るのだろうか。
ほどほどに頑張る ということを身に付けられるのだろうか。
今日、上司から連絡が来た
人も増え活気が出て、より働きやすい環境になってきたと思います。待ってます。
気にかけてくれたことに関しては、感謝しなければいけないこと。
でも素直に嬉しいと思えるほど、私は出来た人ではない。
正直、"それは良かったですね(棒)"ということしか浮かばない。
以前は、自分の課が少しでも良くなったら嬉しかった。
こうなる前はお正月の初詣で「〇〇課に人が増えますように。今よりマシになりますように。」って心からお祈りしてた。
でも、今は自分の課が良くなろうが、悪くなろうがどうでも良い。
だって、自分がいつ戻れるか分からないから。戻れるかも分からないし。
昨日の夜から少しマイナス思考。
こんなんじゃダメなのに。
明日の作業療法は、前向きに取り組めたら良いなと思う。