思うがままに。

〜頑張らないことが目標〜

母親について

私の母親について書いてみようと思う。

 

好きなんだけど、困らされる

困らされるけど、嫌いになれない

というような存在。

 

悪いところばかりではなくて、良いところもあるけど、この記事では悪いところが多くなると思う。

 

母の大事なことは

・世間体

・肩書き

 

これは、大学生くらいになってから気付き始めたこと。

 

母は弱味を見せたがらない人。

それが自分自身だけに向けば周りに被害はないけれど、母は弱味になりそうなものは自分以外でも隠したがるので家族に当然降り掛かってくる。

 

まず、母の母(私の祖母)はとても厳しい人で、今の母はまるで祖母みたい。

だから母もまた祖母の被害者なので、可哀想でもある。

 

きっと子供の進学先や就職先も祖母に怒られないようにピリピリしていたんじゃないのかな?と最近は思う。

 

今はほぼ縁を切られかけている息子(私の兄)には、教育ママだった。

私の記憶にあるのは、兄が泣きながら勉強をしていて、それを母が後ろに立って見ている という光景。

 

母の望み通り、地区で1番の高校へ入り、現役で旧帝大に入り、大学院へ行き、大手企業に就職した。

親子仲は悪くても、周りのお友達に自慢出来る分かりやすい肩書きの息子なのだと思う。

そんな兄が転職を決めてベンチャーへ行くと決めた時は、本当に修羅場だった。

母は「あなた(兄)は騙されている」「勿体ない」などの長文メールを兄に送り付けたらしく、それ以来2人の仲はもっと悪くなった。

 

さて、私の方はというと幼少期は兄ほど教育ママではなくて、塾も小6からだったし(兄はもっと早かった)、お稽古事も少なかった。

まあでも、下の子の宿命というか、兄が怒られてる姿とかを見てると学習するので、怒られないように上手く立ち振る舞っていたと思う。

そのうちに、母の顔色を伺って行動するようになって、それが身について無意識になって、自我が芽生えず今にいたるのだが…

 

私も兄の背中を追って、地区で1番の高校へ入り、(浪人したけど)旧帝大に入り、(中退したけど)大学院へ入り、一応大企業に入った。

 

正直、大学入学までは育てやすい子供だったと思う。

だって、何も逆らわないし敷かれたレールに乗って進んでいるから、母としては楽だったと思う。

 

私の母は決して、〇〇大学へ行きなさいなど具体的なことは言わない。

でも、母を見ているとその選択しかないと思う。感じる。

「勉強しなさい」とは言わないけれど、テストで悪い点を取ったら、口も聞いてくれなくて食卓はお通夜のようになる。

それが嫌だから勉強した。

でも、母は今でも「うちの子達は、勉強しなさいって言わなくても良い大学へ行った」と言う。

いやいや、言葉じゃなくて態度はすごかったんだよ…。

 

そして、母の肩書きは自分のこと以外に、子供の学歴や就職先が組み込まれた。

だから、兄が転職する時、もちろん兄の心配もあっただろうけど、母の肩書きが崩れる恐怖が大きかったように思う。

父は冷静に話を聞き、転職によるメリット・デメリットを聞いて、兄を信じ送り出した。

後日兄と2人で話した時に言っていたのは「母のメールは"私はこれだけ心配しているのに"ということしか書いていなくて、自分のことしか考えていない」と言っていた。

兄の言いたいことは、とても分かる。

※後に、母は私に兄の会社の話をする時「零細企業が〜」と言うようになった。会社名を言えば良いのに、零細企業というのである。妹としても聞いていて辛かった。やっぱり母は"大企業に勤める息子"が自慢だったんだなと感じた一件。

 

母の心配事は全て世間体や肩書きに関すること。

私が大学院を辞めたかった時、精神的にだいぶ参っていて、部屋で1人で大泣きしていたら、突然部屋に入ってきて「泣くのやめなさい!虐待だと思われる!」と言われた。(マンションに住んでいるため)

虐待だと思われそうなくらい、一人で泣いてる娘にかける第一声がそれなんだ という気持ち。

娘の心配より、私が虐待してると思われちゃうという焦りからの怒り。

 

結局、一年半大学院を休学していたけど、親戚含め誰にも休学していることを言わなかった。

お盆休みに祖母の家で親戚集まった時も、「休学していることは言わなくていい」と言われていたから、叔父さんに研究のことを聞かれた時は、嘘をついた。

 

母にとって休学している娘は恥ずかしい存在でしかないんだなと思った1年半だった。

その後、就職出来たから関係は一時修復したけれど、私は就職して一人暮らしを始めたことにより少しずつ自我が芽生え始めた。

 

社会に出て様々な人と出会うと、今まで自分のモノサシだった母の考え方が、自分の欲しいモノサシではない と気付いてしまった。

ここからが自分の中での戦いだった。

モノサシを変えたいのに、20数年使ってきたモノサシは変えられない。

でも、その古いモノサシに自分が縛りつけられて苦しい。

 

私もすっかり世間体や肩書きが大事な人間になってしまっていた。

母の様に、偏差値の高い大学はとにかく尊敬するということはなくて、むしろ偏差値高い大学のくせに、仕事はクソやん みたいなこと思うタイプなんだけど。(私もクソです)

 

世間体はめちゃくちゃ気にする。

新人らしく振る舞わなくちゃ!とか思ってたし、自分の中のルールが沢山あって、苦しかった。

周りの人の目が怖くて怖くて、いつも笑顔で八方美人している日々だった。

 

そもそも、私が親に意見を言わなかったのも「親の扶養に入ってる間、文句を言ってはいけない」という自分なりのルールがあったから。(兄はめちゃくちゃ自分持ってたけど。)

 

まとまりがなくなって来たけれど、とにかく母はこんな感じ。

リワークに通い始めて、沢山の本を読んでプログラムを受けて、自分のことを知っていくと、どんなことに苦しんでいたのか分かる。

 

私の思考の元=母の思考

私はこれから自分の意志や考えを持っていきたい。

そして、このことに気がついたとき、母もきっと不必要に傷付いているんだろうなと思った。

母の中にある自分が、自分を批評して批判している毎日なんだと思う。

私がそうだから。

 

娘としては、母にはもっと楽に生きて欲しいなと思うし、私自身はこれから先は考えを改めて楽に生きていきたい。

 

ただ、母の考え方を今更変えようとは思わない。

リワークに通うまで、母の考え方(以前の自分の考え方)がすごく嫌で、母に考えを変えて欲しくてバチバチしてたし、母の考え方が変わらないことに悩んでいた。

だけど、リワークに通ってから個性というものを少し理解してきた。自分のルールとは違うルールの存在も、認めることが出来るようになってきた気がする。

 

母にはムッとすることを言われても

前までは「何でそんな考え方になるんだろう?」「酷い!」「傷付いた!」とか思ってたんだろけど、

今は「そう思うんだな〜 」

だけで、考えは終わり。

 

母は家族であるけど、同じ人間ではないから私と同じ考えをしてもらう必要はないんだなって気が付いてきた。

※めちゃくちゃ頑固だし。20数年の考え方を変えるのにこれだけ苦労してるんだから、60年の考えはもう変わらないと思ってるしね。

 

今までは自分の考えが母と違うと不安だったし、選んだ道を母が賛成してくれないと、何をするのも不安で怖かった。(今でも怖いという気持ちはあるのはある)

だけど、私の人生だから自分の気持ちや意思をもっと尊重してあげたいなと思うようになった。

 

リワークに行っていなかったら、私はいつか母と縁を切っていたと思うから、プログラムは復職だけでなく私の人生に置いても大きなプラスになっていると思う。

 

リワークのスタッフさんとの面談でも、この偏った物の考え方などは母の影響を大きく受けていると言われた。主治医にも。

休職至った原因は沢山あるから、母のせいではないし、私の考え方がこんな風になったのも母だけのせいではない。

※兄は自分の考えがしっかりあるから。

 

人のせいにせず、今の自分と向き合って改善していきたいと思う。

 

長々となったけど、おわり。